'13年11月29日(金)YRW スポーツプラザ ヒビノ 17qを歩く | |||
12月の声を聞き、ウォーキングイベントは各協会の「年忘れウォーキング」を残すだけになった ・・ 12月7・8日の和歌山ツーデーは、地域行事で行けない ・・ ・・ 年末の「鎌倉-汽笛一声」の"勝手にツーデー"は、都合が付けば参加したい 単発の、協会ウォークやYRWを時々歩く予定だ ということで、単発ウォークの第一弾 岐阜県可児市の「スポーツプラザ ヒビノ」からのYRWを歩くことに この日の予報は 「0℃〜9℃ 晴れ 風1〜2m」となっており、何枚も重ね着して出かけた リュックに荷物は入っていないが、途中で脱ぐ上着を順番に突っ込む |
|||
![]() |
|||
入口に基地(WS)のIVV看板 MAPと下に「早朝ウォーキング届 ポスト」がある HPを見ると、ノルデック ウォークの講習会なども熱心に行っている 開店直後の10時過ぎに入ったので、お客さんは少ない |
|||
![]() |
|||
受取ったMAPは A3で、左にMAP 右がコースポイントの写真入り注記 17q(赤線):WSから東〜北東方面 と10q(青線):東〜南東方面がある。 距離のある、17qを歩くことにする MAPは、改訂2になっているが 「2005.4.1」・・8年前 ・・ 道が変っていなければいいのだが |
|||
|
|||
MAPに従い歩いた結果 左下のWSをスタート後 @ 「可児川」に沿って「明智橋」まで堤を歩く といった、ポイント注記を頼りに大部分は歩けた I「瀬田幼稚園」を左折して・・ 以降の終盤、曲がりくねった住宅街〜「明智城址」で迷走 手前のアプローチが間違えていたのか、「明智城址」探しに苦戦した 前日買ったスマホのGPSで、何度か軌道修正した 大変便利だが、地図を見るのがますます疎かになりそうでもあり YRWの楽しみのひとつである 「地図を読んでみちを見つける」が無くなる? |
|||
![]() |
|||
可児川沿いに東に向かう 気温は低いが青空で風も無い。 序盤は上着は重ね着したまま 可児川は2〜3q下流で、木曽川に合流している |
|||
![]() |
|||
30分ほどで、@の「明智橋」に到着 ここから北上 体も温まり、上着を脱ぐ ぼちぼち、スピードを上げて ・・ 我家だけの歩きではそれほど上がらない |
|||
![]() |
|||
A 山沿いに進み、左手前方の山手中腹に「山田横穴古墳」が見えるAの個所を左折 (右手に民家有り) ・・ 無事にクリアー ! |
|||
![]() |
|||
田園風景の中を北上、こんもりとした山が見えて来た 中腹に休憩所らしき建物がありどうやら「金山城址」はそこのようだ |
|||
![]() |
|||
階段! どんなコースか 情報がなかったので歩くまでは判らないが YRWとしては、結構な階段みち |
|||
![]() |
|||
頂上が「金山城址」 良く見ると地面に縄が張ってあり、交差点に石が埋まっている これが「縄張り」のようだ Wikipediaには 城郭の形式は梯郭式山城。基本的に「兼山城」と表記されることが多い。 国指定の前は岐阜県指定史跡に指定されていた。 標高約277メートルの古城山の山頂に築かれ、天守台を山頂に配置し、本丸を中心に二の丸、三の丸、 南腰曲輪、西腰曲輪が連郭式に配され、天守台北東側に東腰曲輪と称する一郭がある。 とあるが、それらの石垣の一部が残っていただけだった。 森蘭丸の一族の居城でもあった。 |
|||
![]() |
|||
城址からの眺め 向いの山も秋の色 蘭丸広場から下に下りて行く |
|||
![]() |
|||
途中 「伝 蘭丸産湯の井戸」 横の説明に 蘭丸は山頂の城址で生まれた。この井戸の水汲み上げてを使ったと伝えられる とある。 |
|||
![]() |
|||
森家の紋 鶴丸を表現した | |||
![]() |
|||
紅葉の中を下り、街道を抜けて 一度、木曽川にまで出る | |||
![]() |
|||
「兼山湊跡」 Wikipediaによると 湊には多くの川舟が往来し、室町時代には木曽川上流の始発湊であり、 木曽川上流域の唯一の商用港であり、戦国時代には兼山城主森氏の政治的、軍事的要衝ともなった。 河運を利用し商圏を信濃や伊勢方面にまで広げ、兼山商人の名を轟かせた。 兼山周辺は蚕糸業を主産業としており、またそこから発展した呉服産業なども。 さらに山地の北側斜面に立地していた兼山の天然氷の製造に適しており、氷も卸していた。 江戸時代に入っても木曽川の最終荷揚港として重要な役割を果たし兼山城周辺の町へ繁栄をもたらせた。 かつて兼山湊付近一帯は船で賑わい、町筋には宿屋や飯屋、馬宿などが軒を連ね 船問屋の倉庫もいくつか建ち並んでいた。 |
|||
![]() |
|||
街に戻って 「森可成よしなり公 菩提寺:可成かじょう寺」の蘭丸の墓もコースに入っている 本堂の裏を回って、裏山に登った所に 森一族の墓がある |
|||
![]() |
|||
蘭丸等の三兄弟の墓が並んでいた この辺りは、以前 JRさわやかウォーキングでも歩いたコースだった |
|||
![]() |
|||
F 「消火栓」の手前を左折 と、写真入りで注記があった 真中の二本の電柱の右下に赤い箱 ・・ ここで、正解! |
|||
![]() |
|||
しばらく進むと、右手に往路が見えた 合流して、明智橋に戻る |
|||
![]() |
|||
「明智橋」を通り過ぎて、そのまま 「名鉄 広見線」を通り過ぎる 正面に見える丘の連なりの右手に 明智城址がある ここまでは、MAP通りに進む |
|||
![]() |
|||
I 「瀬田幼稚園」を左折 「長山(明智)城跡」の標識に従って進む しばらく進んで「? 標識を見落とした」と思った頃に、標識があった ・・ どうやら違う道からの案内標識だったようだ 暫く混乱しながら行ったり来たりして、「明智城址」駐車場に到着 |
|||
![]() |
|||
「桔梗坂」を登って、城址に向かう | |||
![]() |
|||
またまた、長い階段を進む この日、こんなに階段を登る積りがなかったので結構疲れた |
|||
![]() |
|||
城跡には石碑があるだけだった 以下 Wikipedia から 『美濃国緒旧記』には 「明智城は可児郡明智庄長山城のことである。 明智城は土岐美濃守光衡により五代の嫡流、土岐明智民部大輔頼清の二男、 土岐明智二郎下野守頼兼が康永元年三月、美濃国可児郡明智庄長山に始めて明智城を築城し、 光秀の代まで居城した」とあり、 光秀出生の地とされているが、明智城は恵那市明智町城山とここ可児市瀬田長山にあり、 どちらが明智光秀出生の城なのか、それを裏付ける資料はない。 |
|||
![]() |
|||
眼下に、可児の街並みが見える | |||
![]() |
|||
ニュータウン内の右手側の道を進んで 「身隠山古墳」を通り抜ける (MAP写真には 正面の丸い2個の車止めは有るが、両隣りの家は無い) |
|||
![]() |
|||
L 古墳の先 木製の「いざないばし」を渡り「広見神社」方面へ この後も、通り過ぎて回り道しながら WS スポーツプラザ ヒビノ へゴール 17qのコースで4時間30分 ・・ ゴールしてからの昼食 ・・ スマホの記録によると、城址を通過する毎に歩く速度が落ちたようだ 道を迷いながら進んでいるので、ちっともスピードに乗れない (勿論 ・・・ スマホのラップタイムはコースの正誤は関係無く 距離/時間) |
|||
ウォーキングコースとしては、 歩きやすい 堤防と信号も少ない歩道があり、 中盤と後半に眺望の開ける 階段コースがあるなど 変化もあって 楽しめるコースとなっている。 ただし 木陰が少ないので、夏場は早朝ウォーキングに限る |
|||
年末 単発ウォーク 第1弾(金曜)はこれにて終了 明日 第2弾として 協会ウォークにもぐり込み予定 幡豆・碧海WAにするか瀬戸WAにするか ・・ |
|||
ウォーキング一覧に戻る YRWあれこれへ |